出羽島略史

1645年、出羽島は青木家に与えられました。当時の行政は、青木家が島を管理することで、 島への移住が進むことを期待していたようです。しかし、それから150年が経っても、 青木家以外の家族が島に移り住むことはありませんでした。

1800年、入植が進まないことに苛立った海部郡奉行は、 出羽島や大島を含む青木家の領地を没収し、 他の家族が移住することを条件に領地の一部を返還しました。

出羽島略史 1645年、出羽島は青木家に与えられました。当 時の行政は、青木家が島を管理することで、島への移住が進むことを期待していたようです。しかし、それから150年が経っても、青木家以外の 家族が島に移り住むことはありませんでした。
1800年、入植が進まないことに苛立ち、相続争 いに直面した海部郡奉行は、出羽島や大島を 含む青木家の領地を容赦なく没収した。そして、青木家やその家来以外の家族が出羽島に 移住することを条件に、領地の一部を返還するこ ととしました。奨励策だけでなく、圧力や処罰も 用いられた結果、
わずか3年のうちに島には40 戸が暮らすようになりました。その後、青木家の領地は返還されました。[1]新しく形成された島 の共同体は、沿岸漁業や農業、天草の採取・ 加工などによって生計を立てていました。1830年代初頭、日本が外国との接触を厳しく制限していた「鎖国」の時代、この静かな島の暮らしを揺るがす出来事が起こります。イギリス国旗 を掲げた船が、出羽島の沖合約600メートルに 停泊したのです。幕府の方針に従い、阿波藩の武士と地元の鉄砲隊は巧みに対応し、一人の 犠牲者も出すことなく、その船を打ち払いしました。[2]

島の漁業は長い間ほとんど変わりませんでしたが、1915年、島民の山村雪太郎が室戸岬沖に 豊かな漁場「阿波沚(あわばえ)」を調べたこ とで大きく変わります。漁獲量の増加に加え、 鰹節加工業が発展したことで島は豊かになり、歩制度を拡大し[3]人口も増加しました。出羽島略史
しかし、この繁栄の時代は1949年に転機を迎えます。漁業制度の変更により、沖合の漁場は最も近い都道府県の管轄となりました。「阿波 沚」は「土佐沚」と改称され、漁業権は高知県に与えられました。
この頃、出羽島には800人を超える人々が暮らしていました。重要な沖合漁場を失った島の漁師たちは、次第に海外の海へと目を向けるようになります。
1930年代に始まっていた出羽島の遠洋マグロ延縄漁業は、大きく発展しました。それは国全体で組織的に展開され、世界各地の海 を舞台とする、危険性も利益も大きな産業でした。しかし1965年、出羽島のマグロ漁船の一隻が沈没する悲劇が起こります。人命が失われ、経済的にも打撃を受けたことをきっかけに、島の漁業は再び沿岸漁業へと戻り始めました。
ちょうど同じ頃、島にはようやく生活に欠かせな いインフラが整い始めました。1953年に制定された「離島振興法」の支援もあり、水道、電気、電話が導入されました。
しかし、島の生活 環境が本土に追いつき始めた一方で、出羽島 の人口は減少へと向かいます。魚や寒天原料 となる海藻資源の減少も、島の暮らしをさらに厳しいものにしました。近年では、わずか10年ほどの間に住民人口が約3分の1にまで減少し、約90人だった人口は2025年にはおよそ30人となりました。
日本各地の伝統的な漁村と同様に、出羽島でも地域産業や歴史的建造物、文化や伝統を守るため、行政によるさまざまな支援が行われています。
2016年には島の住民と古民家主による投票が 行われ、文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受け入れることが決まりました。
現在、出羽島は全国129か所ある保存地区の一つとなっています。
この制度では、年に二棟の歴史的建造物の保 存・修復への補助だけでなく、観光を含む地域 づくりも支援されています。それによって、島の集落とその文化的な遺産を次の世代へ受け継 いでいくことが目指されています。また、島の自治組織も、起業家や持続可能な観光事業を支 援する行政の助成制度を承認しています。こうした取り組みを通じて、出羽島の人々は、地域の暮らし、文化と伝統、自然環境、そして持続可能な地域経済のバランスを大切にした未来を築こうとしています。
[1]笠井藍水、海部郡誌(海部郡誌刊行会、1927)271
[2]異国船の謎 この外国船との遭遇については、当時、地元の人々によって詳しい記 録が残されていました。しかし、その「謎の外国船」の物語は、長い年月のうちに地域の記憶からほとんど消えていきました。2017年、この船が「キプロス号(The Cyprus)」であったことが明らかになりまし た。この船は 、タスマニアから脱走した囚人たちによる驚くべき逃亡事 件に関係する船でした。この出来事から200周年を迎えようとする現 在、新たに翻訳された古文書によって、彼らの壮大な航海と出羽島 沖で起きた出来事が新たな視点から見直されています。現在、この物語は、日本ではテレビ、新聞・雑誌記事、教科書 、イベントなどを 通して紹介され、オーストラリアでは小説、ラジオ番組、ポッドキャスト、アート作品、展覧会、ミュージカルなど、さまざまな形で語り継がれています。
[3]年金と子供手当制度まで!? 歩制度はカツオやマグロ船の賃金計算方法です。水揚げ高から、まずは漁に必要だった共同経費を差し引き、残った利益を船主と漁師で分け合います。出羽島独自の特徴と言われのは漁師はカツオ船一家に生まれてから死ぬまで歩を頂きました。国家制度に先駆けて、年金と子供手当制度と同様で、コミュニティの大切さを表現したものとも思われています。